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在日コリアン3.5世の言霊

kotodama04.exblog.jp
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2006年 01月 21日

帰化とお名前の話part2 国籍選択の自由

こなぁぁぁあぁあっぁああぁぁゆきぃいぃぃぃいいいいいいいい!!!!!!

どころじゃない雪が降ってます。寒いっす。


帰化を推進しようとする人たちに「帰化して周りに在日だと認識されなくても、自分自身が“在日”というアイデンティティーをしっかり持っていれば大丈夫なんじゃないの」という主張があります。確かに間違ってはいないし、それを実践してらっしゃる方もいると思います。
が、人は回りに認識されてない中で変わらずに自分の意志を持ち続けられるほど強くはないはずです。それに、それは帰化が公平な選択肢の片方である場合にいえるのであって、そうではない現状では、それすらも外国籍を持ち続ける在日へのプレッシャーになります。


漫画などの脇役の設定で
医者の息子
→父親が医者になれ、と英才教育をする
→今まで父親の言うとおりにしていたのに、なんらかのエピソード(強い意志をもった主人公の影響とか(?))で、父親に反発する
→もめる
→「お前の好きにしなさい」
→「お父さん、おれ、医者になります。なりたいんです!」
というありがちな話ありますよね。(・・・ない?(--;))
これって結局医者になるんですけど、もめる前とあとで違うのは彼に選択の自由があることなんです。かつ、選択の自由があってどちら(医者になる・ならない)を選んでも不利を被るわけじゃない。その上で、「医者になる」という選択をするんですね。

で、どういうことかというと、「帰化≒医者になる」だと思って下さい。在日の国籍の選択は究極的には本人の自由なわけです。日本人をとろうが韓国人(朝鮮人)をとろうが本人の自由だし、どっちかをとることが明らかな不利益を生み出すような状況ではいけないんです。「選んだ選択肢それぞれにいい点・悪い点があるけれど君はどっちにする?」そういった選択の自由の上で、国籍は選ばれるべきです。

これは日本人になった方が精神的に住みやすくなるような、「在日は帰化するか帰国しろ」といった理論への反論でもあります。一方で在日が韓国籍でいても、韓国の棄民政策によって住みづらくなっていることへの文句でもあります。

ただ、相手側の非と共に在日自身が、国籍選択によって生じる権利・義務を明確に認識できていないという問題があります。まずそれを明確にしなければいけません。そのためには「日本国籍を取得した場合」と「韓国籍で生きていく場合」それぞれで負う(求める)諸権利・義務・責任を自分達の中で決めなければいけません。
が、北・南それぞれにひれ伏している今の在日団体では本国に何かを求めたりなんて出来ません。ここは新しい団体を作らなければ!

――――続く。


・・本当に続きます。笑

# by kotodama0401 | 2006-01-21 11:20 | 在日コリアン
2006年 01月 17日

帰化とお名前の話

風邪が治りました。

前回の記事の続きのような感じです。

帰化は帰化でも、在日とそうでない方の帰化には違いがあると思います。
一般的な帰化人の方と在日でなにがちがうのかっていうと、「外見じゃわからない」ってことなんですよね。どういうことかというと、例えば肌の色であったり、顔の造形であったり、話し方や発音、服装によって「この人は帰化した人かぁ」とわかるかどうかです。
例えば三都主選手。・・・三都主しかしらないのかよ!と言われそうですが、まぁそうですw申し訳ない。

実際問題として、外見で「あ、この人は生粋の日本人じゃないんだな」ってわかってしまうことが、当人によっては喜ばしくない方もいるかもしれませんが、それでも「日本人」という立場と自らのアイデンティティーになる部分(民族・血筋・文化など)を両方持つことがが出来ますよね。そんな彼らの帰化は、日本人と同化するのではなく、日本人の1人になる。そんな選択だと思います。

一方で、在日が帰化した場合、肌の色であったり、顔の造形であったり、話し方や発音、服装では「あ、この人は元在日なんだ」とは絶対にわかりません。あとは自分から言わなければ完璧に日本人になりきれる、誰にもそれを疑われないわけです。ただ、そのことに関する受け止め方は人それぞれです。何が何でも元在日であることを隠したい人にとっては好都合ですが、(程度の差こそあれ)自覚して在日として生きた時間があり、自分が在日である事を否定しているわけじゃない人にとっては100%喜ばしい事ではないと思います。


代えられないものとして生まれたときから自分に与えられたもの(出自、親、性別、外見的特徴など・・)を例え肯定的としてでなくても受け入れていかなければ、今の自分や外の世界を肯定していけないと思います。(ここは私の持論なので違うといわれてしまえばそれまでですが。あと、性同一性障害の方や親と呼ぶに値しない親たちなどがいることを無視しているわけではありません。そのような場合でも受け入れていく事は重要だと思いますが。)


だからといって、帰化して日本社会に溶け込んでいるのに「元在日なんだ」とわざわざ言うことが実に煩わしく、言われる側にしてみても「いまさらそんなこといってどうしたいんだよ?!」と思うであろう事は想像に難くありません。自らのアイデンティティー(それほどのものでなくても自分の一部)を言うだけのことが、決して軽い話題とは言えないような“カミングアウト”のような雰囲気を持ってしまうのです。潤滑に進んでいる人間関係の中でわざわざそんなことしようと思えませんし、するために多少の覚悟をしなければならないなんて馬鹿げた話です。

そこで、在日帰化人が自分の出自を否定せず、でももちろん日本人として日本社会で日本のために生きていくために有用だと思えるのが名前です。
ただ、先にお断りしておきたいのですが「在日は帰化しても本名をつかえるようにしろ!」とか「帰化して通名なのってる在日はうらぎr・・・」みたいな主張をしたいわけではありません。
私がいいたいことは、「日本人として生きていくこと」と「在日朝鮮人としてのアイデンティティーの発露」の両立がとても難しいこと、そしてそれが可能であってもいいんじゃないか?ってことです。

実際には帰化していなくても通名を名乗ってる方も大量にいるし、帰化してまで在日って主張しようだなんて思わないよ、って思う方の方が多数だと思います。
それでも、同化ではなく元在日として堂々と日本社会の1成員として生きていくためのポジティブな選択肢としての「本名を名乗る」という手段があってもいいのではないか?と思うわけです。
だからって、日本人として生きている人が生活の全場面において朝鮮風の名前をなのるのはどうかと感じられると思います。通名と本名を使いけられればいい、とも思いますが、在日が本名と通名を使い分けられることで起きている問題もあるのでそこも難しいところです。


かなり帰化に限定して話をしてしまいましたが、本人が帰化していなくて生まれたときから日本国籍を持っていたような方でも、ある時自らの出自に触れて興味がわいたときに「名前」というのはかなり初期段階で触れることだと思います。
コメントで教えて頂いたのですが、作家の鷺沢萠さんのインタビューで
>自分の血や民族を大事にしたり、触れてみたいと思うことは自然なことではないでしょうか。
というお言葉があってその通りだなと思いました。
鷺沢さんはレストランなどに行かれたときに祖母の姓である「李」を名乗ってらしたそうです。
在日韓国青年会 21号インタビュー
私の上の方の文ではお堅い物言いになってしまっていますが、このような気軽な感じで本名を名乗ってみたりするのも少しもおかしなことではないな、と思います。


名前に関しては本名と通称名の使い分けのことや、犯罪を犯したときの通名報道など諸問題あるので今後もとりあげたいと思います。ではでは!

# by kotodama0401 | 2006-01-17 12:20 | 在日コリアン
2006年 01月 06日

もし私が帰化をするとしたら。

まけたぁぁぁぁぁぁっぁあああ(つ_;)

・・・っはい。大阪朝鮮負けてしまいました。残念です。
結果を知ってる状態で試合を見てたんですが、それでも辛いですね・・。
選手の皆さん、お疲れ様でした。野洲高校の選手達、準決勝頑張ってください。


さて、去年からずっと考えていたことなんですが、自分が帰化するとしたら、ということを真剣に考えてみました。実は「韓国人のままで日本で生きていく」という生き方も模索していて、それが自然に出来るならそうしたいと願っている自分がいます。
どちらの国籍を選ぶかということで最も重視したいことは、どちらの国に守ってもらい、そしてその国への責任を果たすか、ということです。無責任に「どっちが暮らしやすいか」ということだけで選び、国民としての責任を果たそうとはしない、という選択もなくはないのでしょうが、少なくても今は考えることを放棄する気はありません。後は流されるままに韓国籍でいる、というのも不可能ではないのですが、それも嫌なので。

が、今日の話はそんな難しい話じゃなく、日本人になるときに自分が絶対に譲れないことについて書きます。
それは名前です。
本名と通名を持っている場合が多い在日朝鮮人が帰化するときには、普通は通名を使って生きていく、ということになります。
私はバイト以外は本名で生活しています。さらにバイトでは苗字で呼ばれているので、今日まで私のことを日本語の名前で呼ぶ人はいませんでした。下らないプライドといわれようとも、今日まで生きてきた名前を捨てることは今日までの人生に背を向けるような気分になります。なのでたとえ日本国籍をとろうとも、本名の発音で呼ばれ、自己紹介したいのです。
無茶なことをいっていると思いますか?
サッカー日本代表の三都主選手のことを考えてみてください。
もし彼に「日本国籍をとるなら名前も日本風にしなさい」という条件が与えられたとしたら、恐らく彼も帰化をすることに、さらに頭を悩ませたでしょう。彼の場合は本名の発音に漢字をあてていますよね。ところが私の名前は、日本の漢字の読みだけでは表現できません。なら、カタカナかなぁ。でも日本人なら漢字がほしいとこですよね。

とまぁ長々と書きましたが、まだまだこのことに関しては考え中なので今日はこんなところで。ではでは!

# by kotodama0401 | 2006-01-06 21:16 | 在日コリアン